のどかなる~Tierra Santa

フラメンコギタリストいわねさとしが願う、世界中の人々の平穏な日々

第314回 光秀と歴史14 呉座勇一氏の本

今回読んだ本は、これです。

2020-0308-1

陰謀の日本中世史(呉座勇一著)

 

「呉座勇一 明智光秀」でweb検索してみると、陰謀説、野望説、黒幕説などに対して、強気な反対意見を述べていることが目に付く歴史学者です。
レビューには評価の高いものも多いので、読んでおいていいと思います。

 

ただ・・・基本的に他者の説を批判する姿勢が強いです。明智憲三郎氏の説も散々に批判しています。けれど、肝心の呉座氏の説はどうなのかというと…

 

「本能寺の変は、明智光秀単独による突発的なもの」だそうです。これを見た瞬間のあたしの感想は「お前アホか!想像力無いんか!」でした・・・ごめんなさい。

 

っというのも、本能寺の変の2年ほど前に、荒木村重(あらきむらしげ)が信長を裏切っており、一族数百名が皆殺しの刑になっています。謀反が失敗すれば一族が滅亡するのは、この時代の人にとって常識だったはずです。
光秀に限らず、一族が滅亡する可能性があるのに、突発的に謀反を起こすでしょうか?謀反を起こすとしたら、かなり周到な準備が必要だったと考えるべきではないでしょうか?

 

突発的なのは本能寺の変ではなく、呉座氏と思ってしまいました。

 

謀反を匂わせる資料が無いと言われていますが、本能寺の変の半年前に、滅亡寸前の武田家に対して謀反の協力を要請していることがわかっています(武田家は謀反の誘いに乗りませんでした)。呉座氏は、これについて全く触れていません。

 

本能寺の変の直前に、信長は四国の長曾我部(ちょうそかべ)氏を潰す方向で動いていました。土岐明智一族は長曾我部氏と縁戚関係にあり、これを守る方向で動いていました。そんな時の書状が見付かっています。
「斎藤利三(光秀家臣)は、明智謀反の戦いを差し急いだ」・・・「企てた」ではなく「差し急いだ」ですから、謀反の計画はそれ以前からあったことを意味します。呉座氏は、これを検討すべきではないでしょうか?

 

呉座氏の限られた説では、多くの出来事に説明が付きません。呉座氏は、自説に都合の悪い資料は無視するのに、自説とは合わない人の意見には徹底的に反論しているように思われます。

 

でも実は、あたしにもそういう面が多くあります。本当にごめんなさい。

 

最近、「建設的批判」と「破壊的批判」について考えています。それゆえ、かつて書いた、このブログの記事の多くを修正しています。

歴史学だけに限ったことではないと思うんですが、人のすることに反論するだけって、知識があって弁が立つ人なら誰でもできると思います。しかし、それでは破壊的批判になってしまいます。
 
せっかく人が一生懸命作ったものならば、どのようにしたらもっと良いものになるのか・・・建設的な批判をしていくべきだと思います。
 
歴史専門家の方々が、お互いにそのような視点で話し合ったら、本能寺の変の真相は、より一層確かなものになっていくのではないでしょうか?