2020-0622 追記
何気に重要な回でした。
豚の話は、今の日本の状況にも、未だに当てはまっています。
ここであたし初めて使ったんですね、「目覚める」という言葉を。
真実への目覚めとかではなく、目覚めた豚として使ってますね(笑)。
雁屋さんのブログ、ホントに衝撃的でした。
そして、googleの検索がまともに機能していないことに気付いた頃でもありました。
必要なことを訴えていた、目覚めた豚仲間(笑)は世界にたくさんいたはずです。しかし、どれだけ情報を発信しても、既に見てもらえない状態でした。
そして、人々はマスコミの言うことを繰り返し聞かされ、正常な判断力を失って、周囲と同じことをし始めてしまった・・・。
世界各国は、既に真相がバレていて正常化しつつありますが、島国・日本は情報から隔離されていて、この先にまだ騒動が続いていくでしょう。
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今回はブログの記事をひとつご紹介します。
雁屋哲さんのブログ
雁屋さんは、人気漫画「美味しいぼ」の原作者として有名な方です。
FBつながりの人が紹介しているのを見て、読んでみたら…コロナに関することに、そのまま当てはまると感じました。
「私達は豚だ」
なかなかに強烈なタイトルです(笑)
この記事の中で、安倍首相に関することは、あたしの知識では判断できませんが、多くの箇所は、これ以上ないくらい現在の日本の状況に当てはまっていると感じます。そして、あたし自身の立ち位置も明らかにしてくれました(笑)。
リンクが切れると嫌なので、コピペして、多少抜粋・修正して載せます。
下にリンク先URLを貼っておきます。
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「大衆は豚だ。奴らは人より多くエサを貰おうとして、人を押しのけたりするが、真理や理想のために戦ったりしない。豚を放っておくと社会全体を豚小屋のように汚らしくしてしまう。この社会はすでに汚されてしまった。高貴な人間のための理想社会に建て直す必要がある。」(漫画「男組」神竜剛次のセリフより)
(現代の日本で)大衆は豚だなどと言ったら、いわゆる 市民派・正義派・良心派という人間たちが騒ぎ立てるだろう。昔は、そのような危険なセリフも、建前と形骸にとらわれて「大衆侮蔑」などときれい事の批判する人間ばかりではなかったのだ。
大衆とはどんな物なのか、きちんと考えれば、「大衆は豚だ」という言葉が他者ではなく、自分自身に向けられたものだと言うことがわかるはずだからだ。
その「大衆は豚」であることを示すのに、大変に良い漫画(作:谷岡ヤスジ)がある。私はこのマンガを、読み返すたびに心に痛みを感じる。
この豚たちは私たちそのものではないか。豚たちはしまいには人間に食われると分かっていて、その日に何かエサを食べられればそれで良いと思っている。「食っちゃ、寝」「食っちゃ、寝」して、満足している。
一匹目覚めた豚がいて、「おまえたち、しまいに食われるの知ってるのか」とたずねると、その他大勢の豚たちは「あ、それ言っちゃダメ」「それを言われちゃ、もともこもない」「ま、なんだな、先のこた考えんこったな」と言うだけである。豚たちはこのままでは破滅すると分かっていても、その日その日の豚の生活を安穏に送っているのである。
2020年現在の私達の姿そのままではないか。
無気力と諦め。惰弱にして劣弱な精神。知的な退廃。
目覚めた豚が逃げ出すと、他の豚たちは先回りして捕まえる。「お前らも一緒に逃げよう、チャンスじゃないか」と目覚めた豚が誘っても、他の豚たちは、「何をして食って行くんだ」と居直る。
それに対して、目覚めた豚は「畑に芋や、ナスがあるではないか」と言う。この目覚めた豚の誘いの言葉は、「生き方を変えよう」ということだ。しかし、惰弱な生活にマヒしてしまっている豚たちは、「わしら、ドロボーしてまで生きとーないんよね」と言って目覚めた豚を元の豚農場に連れ戻して、柱の天辺に縛り付ける。
この目覚めた豚の姿は、十字架にかけられたキリストを思い浮かべさせる、と言ったら言い過ぎだろうか。
ここのところが、私にはズキリと応える。
このマンガの結末は悲惨だ。
目覚めた豚は、柱に縛り付けられて、食事も与えられないから痩せ細っている。目覚めた豚を売った一般大衆の豚たちは、飼い主から目覚めた豚を捕まえたご褒美として、1日10食べさせさてもらえるようになり、まるまると太って、飼い主たちが上機嫌で屠場に連れて行く。
目覚めた豚は、餓死する。
飼い主に忠誠を尽くした一般大衆の豚は飼い主に食べられる。
このマンガには救いがない。
飼い主に従順にえさを食べて太り、飼い主に食べてもらうか、飼い主の手から逃れようとして、仲間につかまって、飼い主の懲罰を受けて飢え死にをするか、この二つの道しか、豚には残されていない。
さあ、現実の私達はどうだろうか。
雁屋哲さんのブログURL(全文)
http://kariyatetsu.com/blog/3141.php
目覚めた豚
超長編「光秀と歴史」によって明らかにしたことや、コロナに関する独自の推察を顧みると、あたしは目覚めた豚だったのだと実感します(笑)。
目覚めた豚の発言の多くは、一般大衆の豚に歓迎されませんでした。そして、目覚めた豚は、飼い主によって、保証されているはずの発言の自由を侵害されました。一般大衆の豚を目覚めさせる危険な発言と思われたからでしょう。
しかし、一般大衆の豚は、目覚めた豚が何か言ったくらいでは目覚めませんでした。むしろ、豚社会のはみ出し者と思われてしまいました。
だから、目覚めた豚は群れを離れ、孤独な豚をやっています。気の合う豚がいたら、一緒に群れから外れて仲良くできたらいいのに…と思いますが、そういう変わり豚はほとんどいないようです。自分が無力なことを知っているので、目覚めた豚を増やしたいとも思っていません。
あたしは、目覚めてはいても、所詮はただの豚です。いつか飼い主に食われる運命に変わりはないでしょう。飼い主をかみ殺すような力もありません。それならば一般大衆の豚と一緒に行動し、目覚めていないフリをしても大差ないのかもしれません。
”飼い主”の存在を信じられない人は、是非ともご自分でweb検索してみて下さい。「いわね 歴史」「いわね 光秀」「いわね フラメンコ」これらのキーワードでは、あたしのブログが当然ヒットします。
検索条件を悪くして「いわ 光秀」でも4ページ目、「ワイワイ ともちゃん」でも1ページ目にヒットしました。
それなのに、「いわいわね コロナ」では何ページ目まで検索してもヒットしません。「いわいわねワイワイ コロナ」まで入力しないとヒットしないのです。
この事実を考えれば、誰にでもわかるはずです。あたしが発信したコロナに関することは、検索から意図的に外されています。
信長・光秀・秀吉・家康の時代では、民衆が知ることのできた情報は少なかったので、秀吉が書かせた「惟任退治記」によって情報操作が行われました。情報過多の現代では、こういう形で情報操作が行われているのです。
ここまで証拠が明らかになっても、まだそれを信じられない人は一般大衆の豚そのものと言って良いのではないでしょうか?何を言われても、目覚めた豚の言うことには耳を貸さないでしょう。
安倍首相
目覚めた豚の見るところ、安倍首相は飼い主ではありません。もし彼が飼い主ならば、自分の飼っている豚たちを苦しめて、自分の利益を損なうようなことはしないからです。
現在、世界各国首脳が同じことをしています。それを考えれば、安倍首相も他国の指導者同様に、飼い主に飼われるリーダー豚に過ぎないということです。
さてさて、今回の騒動に関して言えることは、現在のところはこのくらいです。また何かあったら、その時にでも。
明日からは、豚の自伝(笑)に戻ります(^^)/