のどかなる~Tierra Santa

フラメンコギタリストいわねさとしが願う、世界中の人々の平穏な日々

第319回 光秀と歴史19 戦争の罪と平和な江戸時代

2020.0725 追記

GHQによって左翼思想に洗脳されていたと、今更のように気付き始めました。この記事は、それ以前のものですが、編集せずに残しておきます。

 

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侵略戦争の動機

信長が天下統一後に、朝鮮半島や中国を侵略する意思があったかどうかは置いておくとして、その後に天下を治めた秀吉は、朝鮮半島を侵略しました。一体、何故でしょうか?

当時の武家は、「手柄を立てたら土地をもらう」のが習慣になっていました。敵から土地を奪い、戦いに功績のあった人に土地を分け与えていました。しかし、天下統一後となると、恩賞として分け与える土地はありませんでした。

戦いを急にやめようとしても、社会システムは簡単に変わりません。鉄砲などの武器を製造して流通する制度を急に崩せば、世の中のお金が回らなくなって不景気になるのは、現代人にも容易に想像がつきます。

秀吉が、国外を征服する野望を持っていたかどうかはともかくとして、急激にやってくる不景気を避けるために、天下統一後も戦いを続けるしかなかったという一面もあったでしょう。他国を侵略して配下に土地を与えようと考えたのは、世界的に見ても、日本人だけではありませんでした。

 

家康によって作られた平和

秀吉は天下統一後に朝鮮半島に攻め込み、自国の兵を多く損ない、その家族を不幸にし、さらに他国をも不幸にしました。このような視点で歴史を考える人が少ないように思います。

人間を一人でも殺せば殺人罪が適用されます。未遂だったとしても殺意が認められれば、殺人罪に準じた罰が適用されます。自動車運転の過失によって殺人をしてしまったとしても、重い罪を背負うことは、世の中の常識です。

戦争というのは、国家として、その大罪を犯すのです。個人が恨みによって個人を殺すよりも、ずっと罪の重い行為です。その罪を無かったことにするためには、自然界の「弱肉強食」を利用した強弁以外に方法はないと思います。


秀吉の没後、関ヶ原の勝者・家康によって江戸幕府が開かれました。家康は、鎖国した上で、参勤交代の制度などを使って、国内を上手にまとめました。平和な江戸時代だったと言って良いでしょう。

江戸時代には、朝鮮半島や中国とは、平和的な国史の往来があったようです。海を挟んでいるとはいえ、お隣さんですからね。本当は仲良くできるんです。現代だって、仲良くできるはずなんです。こじれてしまうと、難しいですけど…。