のどかなる~Tierra Santa

フラメンコギタリストいわねさとしが願う、世界中の人々の平穏な日々

第310回 光秀と歴史10 明智軍記

必要以上に悪者に仕立てられた光秀でしたが、実際にはどんな人物だったのでしょうか?知行地の丹波では善政を布いていたようで、現在でも光秀の遺徳をしのぶ声が聞こえてきます。

 

毎年春には、亀岡光秀まつり…なんてものも開かれているようです。

 

今年は例年以上に盛り上がるんだろうなぁ…行ってみたいです(笑)。鎧を着て武者行列に参加してみたいです。無駄にニコニコしそう(笑)。けど、こういうのはやはり地元の人たちの役割でしょうねぇ。

 

秀吉の作り上げた光秀像と、実際の光秀があまりに違ったためか、必要以上に貶められた光秀を不憫だと感じた人が多かったようです。江戸時代の中期の1700年頃になってから、光秀の名誉を回復したいという流れが大きくなったようで、その頃に書かれたものが「明智軍記(作者不明)」という物語です。

 

ここで出てくる光秀は、どの歴史書物にも書かれていないほどの慈愛溢れた人物で、残忍な信長(ここは惟任退治記と同様)の下で、少しでも世の中を良い方向に導こうと、苦しみながらがんばります。そして、それが限度を超えて謀反へ行きつく流れになっています。

 

あたし、かつては、この光秀像が好きだったんです(笑)。しかし、全部作り話と知って、熱が冷めちゃいました。
ちなみに、明智軍記を読んだことのない人でも、あらすじを知っている可能性は高いです。

 

現在出版されている明智光秀に関する物語、歴史ドラマ、漫画、歌舞伎などは、明智軍記を元にして創られています。これらが繰り返されることで、真実とは遠いストーリーが浸透してしまったようです。

 

さて、江戸時代中期に明智軍記が出たことによって、歴史の真実が明らかになったかと言えば、残念ながら違います。あくまで秀吉の作った惟任退治記の上で、悲劇の武将としての光秀が演出されただけなのです。

 

明智軍記には、1700年頃までに出ているどの書物にもない「新たな事実」が何の根拠もなく紹介されています。つまり、これは真実と無縁な作り話なわけで、これを歴史文学として楽しむのは問題ありませんが、歴史を論じる際には決して参考にしてはならない書物なのです。