のどかなる~Tierra Santa

フラメンコギタリストいわねさとしが願う、世界中の人々の平穏な日々

第313回 光秀と歴史13 井上慶雪氏の本

今回は、この本を読んだ感想です。

2020-0307-1

本能寺の変ー秀吉の陰謀(井上慶雪著)

 

本の帯には次のように書いてあります。
「明智軍が本能寺に到着した時、信長の首はすでに討ち取られていた。何故秀吉は信長を裏切り、秀吉に濡れ衣を着せたのか?光秀の冤罪」

 

今年は光秀の年ですからね。本屋で売れ筋の本として、平置きで売られていました。一応パラパラと中身を見てからレジに向かったので、内容は薄々わかりつつ買っています。結論から言えば、やはり読む意味があまり無かったです。

 

井上氏は、次のように言っています。
明智光秀は土岐氏の本流から遠く、土岐氏であることは当時あまり知られていなかった。秀吉は、愛宕百韻で光秀が「時は今」と詠んだことを利用して、光秀に天下を手中にする野心があったと広めたので、これによって明智光秀が土岐氏であることが世間に知れ渡った。

 

浅はかな知識、雑な分析です。

 

土岐氏は内部での抗争や分裂もありましたが、「土岐桔梗一揆(ときききょういっき)」という言葉が伝わっているように、1つの目的のために団結して立ち向かう気持ちの強い一族のようです。他の一族には、こういう言葉はあまり見かけません。

 

土岐氏は年月を重ねて、様々な土地に分かれて住んでいきました。100以上の家に分かれたようです。一生懸命という言葉がありますが、元々は「一所懸命」で、ひとつの所に居ついて、その土地を命がけで守るという意味ですね。

 

土岐頼重が明智の地に居ついて明智頼重と名乗ったことが、信用できる資料からわかっています。明智を名乗った後も、土岐の名を捨てることなく「土岐明智」と名乗り続けたようです。


光秀が信長に仕える前の資料に、「美濃国住人 土岐の随分衆也」という記録が残っています。随分衆とは身分のしっかりした者という意味ですから、信長の家臣となった時点で、光秀が土岐一族の高位の者であることは、当時も知られていたこと…と考える方が自然ではありませんか?

 

光秀の娘・玉は、本能寺の変からしばらく経って、キリシタンの洗礼を受けて「ガラシャ」という名前を持っていました。本能寺の変から20年後くらいに、ガラシャは自殺によって人生を終えました。キリシタンは自殺できないので、家臣に自身を殺させたそうですが…。

 

ガラシャの辞世の句が伝わっています。

 

 散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ

 

土岐=時という認識があればこそ、次のような解釈ができます。

 

花は、散る時を知っているからこそ美しい。自分も、土岐氏である誇りを胸に、散り時をわきまえて、美しく死んでいこう。

 

光秀が土岐氏としての誇り高き人間であったからこそ、ガラシャはこのような辞世の句を詠んだのではないでしょうか?

 

井上氏は、ガラシャの辞世の句には一言も触れていません。

 

あたしはただの素人ですが、光秀について語る際には、土岐氏ということについて深く考える必要があるのだと思います。ただ・・・戦乱期の土岐氏は、将軍家同様に混乱が多く、本を読んでも非常に退屈だと感じます。なかなか興味を持てないところかもしれません。


その他に気になるのは、いくつもの可能性があることを、一つずつを慎重に検討することなく、「~としか考えられない」「~以外の可能性があるようには思われない」などの記述が多過ぎるように思いました。

 

やはり読んでも満足することはできませんでした。