のどかなる~Tierra Santa

フラメンコギタリストいわねさとしが願う、世界中の人々の平穏な日々

第303回 光秀と歴史3 本能寺の変の持つ意味

話は突然に飛びますが…現在の日本は、韓国や中国と仲良しとは言い難い状況にあります。その大きな要因となったのは戦争と、その後のコミュニケーションでしょう。

 

ひとつしか無い真実を両者が同じ目線で見て、相手のことも考えてコミュニケーションしていたら…こんなことにはならなかったと、あたしは思います。しかし、現実はそんな理想通りにはいきません。それぞれに感情があり、それぞれにとっての事実があり、それぞれに損得勘定があるからです。

 

1つの事件に関することなのに、語り伝えられることの行き先は全く違うものになってしまう…こういうことは、戦争だけでなく、世の中にたくさんあると思います。
 
本能寺の変は、そういった人間の持つ様々な面が、極端なまでに反映された事件だと思います。

 

勝者の伝える歴史、敗者の生き残りが伝える歴史、それぞれの知人・友人が伝える歴史、事件後のそれぞれの友人の態度の変化、何十年後、何百年後までも溜め込んだ想い、それを形にする人、何百年か経った後に歴史を勉強した人の解釈、埋もれていた証拠文書の発見、新しい解釈をする人、それに反論する人、専門家の発表した説を読む人、それらに対してブログやyoutubeなどで意見する人(あたしはここですね)・・・これら全てが複雑に絡み合って、真実がどうであったかを把握することは、誰にもできないのかもしれません。

 

しかし、その時代にその場所にいた人が知り得ないことを、たくさんの小さな証拠を集めて、真実を復元できることがあるのです。だから、歴史は面白いです!

 

たとえばですが・・・敗者と親交のあった人は、敗者との親しい関係が記録に残るかもしれませんが、その事実を勝者に知られると睨まれますから、敗者との関係を親密ではなかったことにするかもしれません。「親密な関係ではなかった」として時代を乗り切り、勝者の死後になってから、改めて別の記録を残すかもしれません。

 

昔の記録は、月日の記載があっても年の記載が無いものが多いので、その記録がいつ行われたのかは、容易に判断が付きません。これを現代の歴史家が見ると、食い違う2つの資料に悩むわけです。どちらが正しいのだろう…、どちらが先だろう…、いつ頃に書かれたのだろう…と。

 

その当時に生きていた人でも知り得なかった全容を、現代人が解析する・・・とても面白い作業だと思います。容易に知り得ることなら、興味も湧きません。フラメンコと一緒ですよ(笑)。高過ぎる山だからこそ、がんばって登ってみたいじゃないですか(^^)/